落ちた。
高校卒業の年の3月10日、俺は、大学受験に失敗した。初めての挫折だった。中学はトップクラスの成績、高校は県内No.1と、勉強に関しては申し分ない能力を持っていると思っていた。第一志望しか受験していなかった俺は、そのまま自動的に浪人することに。このページが、今後現れるであろう悩める浪人生の希望の光になることが何よりの願いである。
高校1、2年生
高校入学直後は、部活決めに悩んだ。小さい頃から続けているドラムの経験を活かして軽音部に入るか、中学から続けているサッカー部に入るか、2週間近く迷ったのち、軽音部に入ったら運動しなくなるのではないかと思い、サッカー部に入ることにした。
サッカー部は主に週5回の活動で、部活終わりは疲れてヘトヘト。映像授業を主としている塾へ行っても、うとうとしながら授業を聞いてしまったり、あまり集中していなかった。それでも学校の授業中は、先取りで学習しようと青チャートを進め、高1の時点で青チャート2Bを終わらせた。
ちなみに、高1の時の志望校は東京大学理科Ⅱ類である。軽音の部活体験に一緒に行ったメンバーが、いきなり志望校の話をし始めた。A.「お前志望校どこ?」B.「東大」C.「俺も東大かなー」A.「だよなー」。まさかの自分以外の3人が全員東大志望。衝撃だった。俺「まだ5月だよ…」
東大なんて雲の上の大学で、自分とは関係ないと思っていたので、身近な人がそこを目指していたことに大きな影響を受けたのだ。そこから、自分も東大を狙えるんじゃないかと錯覚し、過酷な3年間が幕開けた。
高校3年生
俺の高校は、自由すぎると言っても過言でないほどに自由で、先生に勉強しろとも言われたことはない。なので、部活を引退する高3の春から夏ごろまではほとんど勉強せず、さらに秋にある文化祭の3年劇の準備に没頭する人が半数を占め、浪人率は日本全国No.1の高校だった。
もちろん俺も学校行事には全力で取り組むタイプだったし、3年劇ではキャストも務めたが、高1、2年で少しは勉強していたおかげもあり、2年生までは学年内の順位も悪くはなかった。しかし、文化祭も終わり、みんなの勉強のギアが入ると、あっという間に抜かれていって、気づけば上位7割程度まで順位が落ちてしまった。
もちろん、俺が勉強していなかったわけではない。なんで自分だけ成績が上がらなかったのか。その理由は3月10日に判明することになる。ちなみに、高3で文理選択があり、高2のうちから理系と決めていた俺は迷わず理系を選択していた。理由は、社会の暗記が嫌だったからである。軽率だよね。
共通テスト
1回目(笑)の共通テスト。二次試験の対策が間に合いそうになかったため、共通テストは少し遅めの1ヶ月前からの対策となった。これがうまくいかない。何度予想問題集に取り組んでも、いけて8割。そのまま本番に突撃。なんとかなると思って望んだものの、そんなに人生うまくいかない。そんな時に限って、なんと数学1Aの平均点がセンター時代含めて過去最低だった。自分の点数は56点。80点ちょいくらいは直前まで安定していたのでとてもショックだった。合計は621点。
考えてもいなかった足切りの可能性が浮上した。
逆転を夢見た1ヶ月
今まで東大のことしか知らず、他の大学のことなんて1度も調べたことがなかったが、足切りになるよりはと、プライドを捨てて必死に調べた。将来やりたいことは特に決まっておらず、強いて言えば経済や金融に興味があったのだが、理系でも受験できる経済学部があると知った。
理系経済学部がある大学をいろいろ調べた結果、あの京都大学にもあることが判明。しかも受験科目が英国数の3教科。数学の比重は多めだが、物理化学の対策がどうしても間に合いそうになかった俺は、1ヶ月数学に全振りすれば勝てると思った。
親に話して願書を作成し、出願完了。あとは勉強するだけ。しかし、大学受験はそんな簡単には成功できない。
1回目の二次試験
二次試験前日は、母と前乗り。試験のことだけを考えれば良かったので、安心して前日まで勉強することができた。試験当日早朝。京都市役所前のバス停からバスに乗り、京都大学前で降りる。試験会場は4共。少し歩いて会場へ向かうと、集合場所となっていた4共前の広場には、文系の経済学部の受験生もたくさんいた。
時間になると、案内の人が試験会場の教室へ案内した。理系経済学部の試験会場は1つだけ。受験人数は100人ぴったり。合格者は25人。超激戦区となるこの受験におけるライバルは、あの教室1部屋に全員集まった。1日目は国語、数学。国語から始まるのは緊張がほぐれて良い。出来は普通って感じ。数学の試験の前は流石に会場に緊張が走る。出来は、いつもよりはできたけど、、って感じ。
1日目のホテルへの帰路は、2日目の英語で何点取れば受かるかといろいろ計算しながらだったが、どう計算しても満点を取らなければ落ちるという計算になった笑
夜、母にその事実を伝え、来年のことを考えるフェーズになった。もう一度物理化学の勉強をして東大を目指すことも考えたが、大学調べをする中で、「東大京大」と対等に並べられるものの、東大はやっぱり京大よりも1つレベルが高いことに気づいていたので、浪人してもいける自信が正直なかった。
そこで、俺は文転という名案を思いついてしまったのだ。
文理選択で迷ったら絶対に文系へ。
文転という選択肢を思いついた俺は、文転して1年で京大経済学部に受かるビジョンを考えた。(二次試験1日目の夜)
英語は文系も理系も同じ問題。数学は理系よりも簡単になる。国語は文系用の問題にはなるが、制限時間も伸びるほか、対策は特に理系と変わらない。つまり、文転するにあたって増える負担は、社会科目の暗記で、論述まで仕上げなければならないということくらいなのだ。
俺は地理選択だったが、世界史が京大社会の中で1番点数が取りやすいということから、まっっっったく勉強したことない世界史を勉強して記述まで仕上げることを心に決めた。世界史を0から勉強する方が、物理化学を仕上げるよりも簡単な気がしたからだ。(おそらく本当にそうだったと思う。)
理系は、数Ⅲ、物理化学を勉強するが、文系は世界史だけ。あとは同じ。こんなの、文系の方が簡単に大学に入れるに決まっている。二次試験に頭を戻した俺は、英作文の復習をして眠りについた。英語は、満点など取れるはずもなく、とりあえずやり切ったという達成感を感じ愛知に帰った。
1回目の点数
132点落ち!!!
これ見た時はホント焦ったよねー、、、数学50点て1ヶ月何しとったん。これが届くのは5月に入ってからで、浪人期が始まったばかりだったので、結構落ち込んだ。
いざ浪人
不合格となってから2週間は何も勉強しなかった。世界史の参考書を購入し、カフェで読み物として読む程度。高校の担任からメールが来た。
「浪人することになった人は河合塾か駿台へ行きなさい。入塾テストを受け、志望校のクラスのうち、1番レベルの高いクラスの認定をとりなさい」という内容だった。
個人的に、文系は河合塾、理系は駿台というイメージがあったので、どちらの説明会にも行ったのち、河合塾の入塾テストを受けることに。テストは全然難しくはないのだが、癖が強い問題が多く、結果は、京大の2番目のクラスの認定までしか降りず。その後3回目のテストでついに認定を獲得。河合塾の京大SUPER ONEWEXというクラスへ入ることが許された。
劣等感を感じ続ける日々
自分の高校は、半数が浪人して、1年後東大京大や医学部へと進学する人が多く、京大クラスには友達がいっぱいいた。しかし、自分と似て、100点差落ちなどという人はほとんどおらず、10点20点、中には1点落ちのやつもいた。
自分が130点落ちだということは、みんなには言えなかった。いくらあと1年あるからとはいえ、130点なんて上がらないでしょ、と自分でも思ってしまうからだった。それに加えて、文転。みんなに比べてかなり大きいディスアドバンテージがある状況で、なかなか肩身が狭かった。
模試の度にみんなは当たり前のようにA判定や、冊子掲載などの良い成績を取るのに対し、世界史のディスアドバンテージはあるものの、D、E判定ばかりしか取れなかった自分が嫌になった。模試返却の日は緊張で塾に行きたくなかった。
「また自分だけ成績悪くてみんながすごかったらどうしよう、みんなに俺の判定とか点数とか聞かれたらどうしよう」とか、普段は超がつくほどのポジティブ思考の俺が、あの1年間で超がつくほどのネガティブになってしまっていた。
なぜ落ちたのか
浪人初日、つまり、河合塾生となった4/1、なぜ落ちたのか、なぜ勉強しても成績が上がらなかったのかについて考えた。英語と国語は正直そんない悪くない、特に悪かったのは数学だった。
ふと、「基礎が固まっていないからかなー」と思い、青チャートを開いてパラパラ問題を見てみると、「あれ、わかんない問題多くね?」となった。そう、高1高2で、基礎の部分を適当に勉強していたがゆえに、基礎が固まっておらず、その後にどんな応用問題に取り組んでも何も身になっていなかったのだ。
適当に勉強していた、とは、ただこなすだけの勉強であり、同じテーマの問題が数字を変えて出題されても解けるくらいその問題のテーマを自分のものにしなければ基礎がついたとは言えないのである。自分の成績が伸びなかったのは間違いなくそれだ、と確信した。
そして、浪人期の初めの2、3ヶ月は、青チャートを完璧(完璧の言葉の重みが違う)にすることを決意し、実行した。まあそりゃすぐに成果が出ることはなかったが、最初に行ったこの分析と対策の実行が、後に良い影響を及ぼしたのは言うまでもない。
2回目の受験
基本的に直前期までずっと友達に対して劣等感を抱くしんどい年だった。結局、1年間模試を受けてA判定は1回も取れず、最高でもB判定だった。
そんなところで迎えた受験期、共通テストは、それまでの模試で700すら超えたことがなかったのに、本番は8割を取ることができて一安心。それでもボーダーラインには到達できていなくて、京大受験生すごいなと思いつつも、二次試験で逆転する自信があったので、出願先は変えずに行くことにした。
ただ、もうこの時点で、経済学部というよりは、京大に行きたい気持ちが強かったので、1番合格最低点や倍率が低かった法学部に志望を変更し、出願。共通テストが終わってからは、過去問を解きまくった。基礎をしっっかり積み上げたのがやはり功を奏し、私立受験が終わってから急に数学ができるようになった。他の科目も、合格点に届いていた。
2回目の受験は、もう落ちることはできないという焦りはあったものの、それを上回る自信があったので、自分が心強かった。
最終結果
最終的な受験結果は以下の通りである。
- 同志社大学経済学部 合格
- 慶應義塾大学商学部 補欠
- 京都大学法学部 合格
ついに合格!!
18点プラスで合格。去年130点差で落ちたとは考えられない成長をすることができた。世界史もほぼ7割、よくできたと思う。
志望校は、目標の1ランク上の大学を。
これはよくある話だが、ゴール(目標)を設定すると、その7〜9割程度しか達成できないことが多いということは、読者の皆さんも経験したことがあるだろう。これは志望校選びでも同じだと感じていて、あの時、高1の最初に東大を志さなかったら、今頃は名古屋大学あたりに通っていたのではないかと思っている。少なくとも京大は志さなかったと思う。
「東大や京大が志望校だと周りに言ったりするのは恥ずかしい」と思うかもしれない。自分もそうだった。でも、勇気を出して周囲に宣言すれば、必ずあなたの受験の結果は満足のいくものになっているはずだ。
伸び悩む全ての受験生へ
最後に、「伸び悩んでいる」ということは、「勉強時間はとっているけれど成績が伸びない状況」ということであろう。
正直、英語国語世界史(社会科目)に関しては、最低限の知識(文法、単語、用語など)を暗記した上で、多くの文章を読めば誰でもできるようになるはずだ。やはり難しいのは数学で、これはただの暗記では数字を変えられると対応できないということが発生する。
とにかく基礎が大事ということが言いたいわけだが、全科目において重要なのは、「勉強をする目的を考えること」だと思う。何も考えず、何も意識せずに問題集に取り組むと、自然とこなしたり、終わらせるためという目的で取り組んでしまう。それでは高1高2の僕のように、意味のない勉強になってしまうので、「同じような問題が出た時に解けるようにするため」など、この問題集に取り組んで、そのエッセンスを獲得したらどの模試でどれくらいの偏差値が取れるんだろうということも考えながらできるとより学習効果が高まると思う。
今どんな成績の人でも、正しい勉強法と正しい参考書で勉強を進めていけば、確実に難関大学合格は目指せる。ただ、一人一人参考書の進行度、理解度など、現状はバラバラなのは間違いない。そこで、個人に合った勉強法を提案してくれる個別指導塾を紹介するので、無料相談だけでも十分なので受けてみて、今後の方針を決定するのが望ましい。一人で勉強するのが1番危ない。
おまけ:勉強場所について
勉強場所は、そこで行う勉強の効率に大きな影響を及ぼす。目立ちたがりな自分の場合は、特殊なのだが、自習室の一人一人区切られた机ではある意味他人の目が届かず集中できなかった。
そこで自分がよくやっていたのは、スタバなどのカフェで、京大の赤本を机に置き、他人の目線を集めて(?)勉強するという方法だ。
そのようにして勉強している自分の姿を他の人が見たら、「京大!?頭いいんだなー」などと思ってもらえる(多分)と思い込むことで、、京大にいく子が勉強中にスマホ触るんだーとか、寝てるんだーとか思われたくない、かっこいいと思われてる自分のまま勉強したいという欲が出てきて、超集中できた。二次試験の直前期にほぼ毎日スタバ行かせてくれた親には本当に感謝している。
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